まぁ、誰も見てないと思うので、ここに書いておく。
どこかで吐き出さないと、ちょっとアレな感じになってしまいそうで。
3回目の癌治療で父親が入院したのは今年の5月末
3度目なので、放射線治療もできないので、切るしかなかった。
食堂全摘出手術して、気管切開もして、それでも目視で癌っぽいリンパ節があったから、
抗がん剤治療もした。
摘出した臓器は、家族に確認させるんだねぇw
父親の食道をピンセットでだけど、触ってきました。
で、なんだかんだで8月末に退院。
1か月ほど家で過ごして、肺炎が酷くなり、9月末に再度入院。
11月の半ばにようやく退院して、10日後に再入院。
それが11月末の話。
11月の退院の時は、お前治す気あるんか。と、大ゲンカした位、食事もせずに
お酒ばっかり飲んでたんだが。
近所のいわゆる町医者の先生の所で、栄養剤の点滴などしてもらっていたけれど、
とうとう、再度肺炎が酷くなって、再入院。
軽度の心不全も起こしてた。
いくらなんでも、酒に逃げるのは良くないと思っていたけれど。
ここまでだったなんてと、呆れ気味で楽観視していたけれど。
それから2日。
今回はそうもいかないらしい。
母が、病院まで片道1時間半かけて、様子を見に行ってる。
主治医の先生に呼びとめられて、立ち話でなく別室に行ったとの事。
帰宅前、ダイエーで父のパジャマを買うのに、母に電話をしたら。
「親子三人で真剣に考えなければいけないことができた」と。
なんだそれ?
取り敢えず促したら、肝臓に転移しているようで、覚悟を決めてくれと言われた。とのこと。
弟が母を迎えに病院まで車を走らせていた様子。
途中、私も合流。
どうやら、肝臓に転移しているよう。
数か月前のCTに無かった影ができている。
外科的手術は不可能。体力もないし。
放射線もあてられない。
抗癌剤治療しかないが、このまま放っておけば平均的な症例からみると、春ごろまでしか持たないであろう。
抗癌剤が効いても、年単位では無理だと思われる。
どうやら、本当に楽観視できない様子。
帰宅後母と二人どうするかの話し合い。
告知をする、しない。
告知をしても、父の様子では、メンタル的に折れる、アウト。
当り散らされるのは目に見える。
私や弟は日中仕事で不在にしているけれど、24時間張り付きになる母が辛いという。
告知をしない。
知らないまま、死んでいくってこと。
だましていたと恨まれるかもしれない。
と、またしても母が言う。
そもそも父の最期を周りが決めていいのかと。
至極もっともなんだが、父に判断できるとは到底思えない。
私と弟、子供らは告知をしたほうがいいんじゃないかと。
自分の現状をしって、向き合うことができるのか。
答えはNOだと思う。わかってはいるけれど。
私なら自分の後始末、つけたいと思うんだけれど。
きっと、できない、今の体力的に弱っている父なら。
告知をせずに抗癌剤投与を行って、数値をみる。
その結果次第で告知なり、と次の行動。
抗癌剤治療をすることによって、苦しい時間が長引くとなるとそれは可哀想。
ホスピスとか安らかに死を受け入れて待つ。
性格上安らかになんて到底無理だろう。
あれだけ、内弁慶な父親だから。
結局は死ぬのが怖いって言ったんだから。
何にも知らないまま、眠っている間に死なせてあげるのが一番なんだろうか。
告知をしないで、一度だましたまま抗癌剤を投与して、数値を見て、
次の行動にでる。
まずは、それをしないと何にも癌の現状がわからないと思うと、話をした。
が、結局は堂々巡りで疲れ切ってしまい。
明日もあるからと、お風呂入って就寝。
お風呂に入って、一人になって。
ふと、考えた。
来年の誕生日にはとーちゃん居ないんやろなぁ。
私も、色々と気持ちの準備はしておかなきゃいけないんだろうなぁ。
リビングのとーちゃんの席に、とーちゃんが座ってるのあとどれだけ見られるんだろうか。
はっきり言ったら、好き放題やってきた父に天罰が下ってる気がする。
でも、父親なんだよなぁ…。
と、複雑である。
いわゆる余命宣告だったんだけれども、なぜだか涙は出ない。
ものすごーく遠くの他人事のような感じがしている。
麻痺してるのかな、気持ちが。
クリスマスもお正月も次が最後。
今年の父の誕生日は、病院だったけど。
来年は祝うこともできないのかもしれない。
どこかで吐き出さないと、ちょっとアレな感じになってしまいそうで。
3回目の癌治療で父親が入院したのは今年の5月末
3度目なので、放射線治療もできないので、切るしかなかった。
食堂全摘出手術して、気管切開もして、それでも目視で癌っぽいリンパ節があったから、
抗がん剤治療もした。
摘出した臓器は、家族に確認させるんだねぇw
父親の食道をピンセットでだけど、触ってきました。
で、なんだかんだで8月末に退院。
1か月ほど家で過ごして、肺炎が酷くなり、9月末に再度入院。
11月の半ばにようやく退院して、10日後に再入院。
それが11月末の話。
11月の退院の時は、お前治す気あるんか。と、大ゲンカした位、食事もせずに
お酒ばっかり飲んでたんだが。
近所のいわゆる町医者の先生の所で、栄養剤の点滴などしてもらっていたけれど、
とうとう、再度肺炎が酷くなって、再入院。
軽度の心不全も起こしてた。
いくらなんでも、酒に逃げるのは良くないと思っていたけれど。
ここまでだったなんてと、呆れ気味で楽観視していたけれど。
それから2日。
今回はそうもいかないらしい。
母が、病院まで片道1時間半かけて、様子を見に行ってる。
主治医の先生に呼びとめられて、立ち話でなく別室に行ったとの事。
帰宅前、ダイエーで父のパジャマを買うのに、母に電話をしたら。
「親子三人で真剣に考えなければいけないことができた」と。
なんだそれ?
取り敢えず促したら、肝臓に転移しているようで、覚悟を決めてくれと言われた。とのこと。
弟が母を迎えに病院まで車を走らせていた様子。
途中、私も合流。
どうやら、肝臓に転移しているよう。
数か月前のCTに無かった影ができている。
外科的手術は不可能。体力もないし。
放射線もあてられない。
抗癌剤治療しかないが、このまま放っておけば平均的な症例からみると、春ごろまでしか持たないであろう。
抗癌剤が効いても、年単位では無理だと思われる。
どうやら、本当に楽観視できない様子。
帰宅後母と二人どうするかの話し合い。
告知をする、しない。
告知をしても、父の様子では、メンタル的に折れる、アウト。
当り散らされるのは目に見える。
私や弟は日中仕事で不在にしているけれど、24時間張り付きになる母が辛いという。
告知をしない。
知らないまま、死んでいくってこと。
だましていたと恨まれるかもしれない。
と、またしても母が言う。
そもそも父の最期を周りが決めていいのかと。
至極もっともなんだが、父に判断できるとは到底思えない。
私と弟、子供らは告知をしたほうがいいんじゃないかと。
自分の現状をしって、向き合うことができるのか。
答えはNOだと思う。わかってはいるけれど。
私なら自分の後始末、つけたいと思うんだけれど。
きっと、できない、今の体力的に弱っている父なら。
告知をせずに抗癌剤投与を行って、数値をみる。
その結果次第で告知なり、と次の行動。
抗癌剤治療をすることによって、苦しい時間が長引くとなるとそれは可哀想。
ホスピスとか安らかに死を受け入れて待つ。
性格上安らかになんて到底無理だろう。
あれだけ、内弁慶な父親だから。
結局は死ぬのが怖いって言ったんだから。
何にも知らないまま、眠っている間に死なせてあげるのが一番なんだろうか。
告知をしないで、一度だましたまま抗癌剤を投与して、数値を見て、
次の行動にでる。
まずは、それをしないと何にも癌の現状がわからないと思うと、話をした。
が、結局は堂々巡りで疲れ切ってしまい。
明日もあるからと、お風呂入って就寝。
お風呂に入って、一人になって。
ふと、考えた。
来年の誕生日にはとーちゃん居ないんやろなぁ。
私も、色々と気持ちの準備はしておかなきゃいけないんだろうなぁ。
リビングのとーちゃんの席に、とーちゃんが座ってるのあとどれだけ見られるんだろうか。
はっきり言ったら、好き放題やってきた父に天罰が下ってる気がする。
でも、父親なんだよなぁ…。
と、複雑である。
いわゆる余命宣告だったんだけれども、なぜだか涙は出ない。
ものすごーく遠くの他人事のような感じがしている。
麻痺してるのかな、気持ちが。
クリスマスもお正月も次が最後。
今年の父の誕生日は、病院だったけど。
来年は祝うこともできないのかもしれない。
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