あの日のこと書いておこうか。
2011年9月10日 日常■3月11日から半年■
池上彰の番組を見てたら、あの日のことを思い出した。
阪神大震災のことは、正直もうあんまり覚えていない。
小学校6年生、卒業まで2か月だった。
大阪も大きく揺れた。
学校に行って、生まれて初めて、避難訓練じゃなくて地震で机の下に潜り込んだ。
後にも先にもあれ一回だけ。
先生が音を消して、教室のTVをつけてたと思う。
揺れのさなか親に起こされた。
リビングの本棚の扉が開いてた。
年賀状が飛び出してたんじゃないかな。
そのあと。
学校で募金活動をしたと思う。
今年の東日本大震災。
14時46分
金曜日の午後。
もちろん、仕事中。PCに向かって作業中。
最初は自分が揺れてるんだ。とか、思ってたら。
大きな地震の揺れが大阪も揺らしていた。
旦那さん先生が「おい、これ地震じゃないのか?」
って執務室のデスクを離れた。
何かが落下するわけではなかった。
暖房の風で揺れていると思ってたブラインド。
よく考えたら、そこに風は当たるはずがない。
横揺れではなく、ブラインドが縦に揺れてた。
幸い、立てないほどの揺れでもなかったので、非常口の確保に向かった。
非常ドアを開けて、鍵で閉まらないようにしただけ。
それから、エレベーターの下るボタンを押した。
そしたら、うちの依頼者が飛び出してきた。
エレベーターの中での揺れは非常に怖かっただろう。
ネットで、揺れの情報をこっそり拾い始めた。
先輩がツイッターで情報を拾い出した。
「こういう時、ツイッターでデマが流れるよねー(笑)」
とか、言ってたら、本当にデマが流れてた。
この時は、こんな大災害になるなんて、かけらも思ってなかった。
「お台場が燃えてる」
慌てて、ツイッターで検索。
お台場が本当に燃えてた。
関東に住んでいる友達の安否が心配になった。
震源地が東北。それだけはわかったんだけれど、あまり深く考えてなかった。
知人はいない。
東京は大丈夫だろう。と思ってた。
「UstreamでNHKの生放送流してる。」
ツイッターで拾ってきた情報。
使ったことないけれど、ちょっと見てみよう。
弁護士は不在と打ち合わせ中だ。
見つけたURLをクリックすると、ちょうど津波の映像が流れていた。
時間は多分16時ごろ。
何回も流れている津波の映像を先輩とPCの画面で見た。
「なにこれ?」
何度も押し寄せる波、TVでも見たことのない映像だった。
帰宅前もちょいちょい情報を拾う。
まだ、深刻でないと感じていた。でも、大きな地震だと。
今日は早く帰ろう。
それでも就業後に寄り道。
京橋で一服しながら、幼馴染に電話をした。
「どない?大丈夫?」
揺れはするけど、被害はなし。電話はつながりにくい。受信は平気。
とのこと。
今すぐ買い物に行くこと。
お湯沸かすこと。お風呂にお水をためておくこと。
実家に電話ができなければ、私の職場か自宅に連絡を入れろ。
いくつか注意を伝えて、電話を切った。
もう一軒。
東京に住んでいるシングルマザーな母子も気になった。
電話をしたけれど、出ないから。
取りあえずメールを入れて帰宅。
21時ごろ。
何度も鳴る地震速報の緊急ニュース。
福島の原発が大変なことになってる?放射能漏れを起こしてる?
どこまでが本当?どれが本当?
TVの情報も大混乱だった。
帰宅難民が映し出される。
自分も帰れなくなったらどうしたらいい?そんなことを考えていると
シングルマザーから連絡。
よかった。無事だ。
息子を学校に迎えに行って、会えた時に大きく揺れた。と言っていた。
無事でよかった。会えてよかった。
今日はすぐにでも出られる支度をしたほうがいいよ。
と、こちらで拾える情報を流すことを伝えた。
友人と一緒にいるから大丈夫。って言ってたことにほっとした。
時間が進むごとに増える死者や行方不明者の数。
住民1万人が行方不明。
千葉でコンビナートが燃えてる。
刻々と被害の様子が明らかになる。
夜中まで、ニュースを見て。
起きたら、翌日の新聞は燃えて、壊滅した町の写真だった。
テレビ欄が真っ白になった。
生まれて初めてこんなテレビ欄を見た。
どのテレビ局も地震の報道。
電力が足りないなら、思い切って順番で放送を中止したらいいのに。
そんなことも思った。
おこった津波の映像より、今、現地がどうなのか、放送したらいいのに。
地震から24時間。
関東も携帯はそろそろ大丈夫だろう。と思って、
片っ端から、友人に連絡のメールを入れた。
無事。という返事が来るたびに、ほっとした。
何かこちらからできることがあれば、連絡してくれと返事をした。
3時間以上歩いて帰宅した。と言う大学の友人。
岩手の実家と連絡が取れた。無事だった。とメールを返してくれたゴス友さん。
今、ようやく電気が復旧したとレスをくれた栃木のゴス友。
みんな無事でよかったと返せて良かった。
「関電で電気を関東に送るから節電を。」
関電のオフィシャルにそんなこと乗ってなかったけど。
ツイッターでの呼びかけ。
ヤシマ作戦。
関西で節電しても何の意味もなかったんだけど。
思わず待機電力を切った。ヒーターを止めて、厚着。
土曜、日曜。毎日津波のニュース。
見守るしかできなかった週末。
週明けにはできること。
取りあえず、手持ちのTポイントやヤフーのポイントを募金に回す。
情報を集める。
関西でできること。
よくよく、考える。
コンビニとかで買い物をした後のおつり、募金してみた。
大阪で確実に帰宅困難者になる私。
帰る場所を家族と話し合った。
震災後あった、良いこと。
ツイッターでいくつか見かけた。
絆。譲り合い。
今回の震災で、もう一度考えた出来事。
池上彰の番組を見てたら、あの日のことを思い出した。
阪神大震災のことは、正直もうあんまり覚えていない。
小学校6年生、卒業まで2か月だった。
大阪も大きく揺れた。
学校に行って、生まれて初めて、避難訓練じゃなくて地震で机の下に潜り込んだ。
後にも先にもあれ一回だけ。
先生が音を消して、教室のTVをつけてたと思う。
揺れのさなか親に起こされた。
リビングの本棚の扉が開いてた。
年賀状が飛び出してたんじゃないかな。
そのあと。
学校で募金活動をしたと思う。
今年の東日本大震災。
14時46分
金曜日の午後。
もちろん、仕事中。PCに向かって作業中。
最初は自分が揺れてるんだ。とか、思ってたら。
大きな地震の揺れが大阪も揺らしていた。
旦那さん先生が「おい、これ地震じゃないのか?」
って執務室のデスクを離れた。
何かが落下するわけではなかった。
暖房の風で揺れていると思ってたブラインド。
よく考えたら、そこに風は当たるはずがない。
横揺れではなく、ブラインドが縦に揺れてた。
幸い、立てないほどの揺れでもなかったので、非常口の確保に向かった。
非常ドアを開けて、鍵で閉まらないようにしただけ。
それから、エレベーターの下るボタンを押した。
そしたら、うちの依頼者が飛び出してきた。
エレベーターの中での揺れは非常に怖かっただろう。
ネットで、揺れの情報をこっそり拾い始めた。
先輩がツイッターで情報を拾い出した。
「こういう時、ツイッターでデマが流れるよねー(笑)」
とか、言ってたら、本当にデマが流れてた。
この時は、こんな大災害になるなんて、かけらも思ってなかった。
「お台場が燃えてる」
慌てて、ツイッターで検索。
お台場が本当に燃えてた。
関東に住んでいる友達の安否が心配になった。
震源地が東北。それだけはわかったんだけれど、あまり深く考えてなかった。
知人はいない。
東京は大丈夫だろう。と思ってた。
「UstreamでNHKの生放送流してる。」
ツイッターで拾ってきた情報。
使ったことないけれど、ちょっと見てみよう。
弁護士は不在と打ち合わせ中だ。
見つけたURLをクリックすると、ちょうど津波の映像が流れていた。
時間は多分16時ごろ。
何回も流れている津波の映像を先輩とPCの画面で見た。
「なにこれ?」
何度も押し寄せる波、TVでも見たことのない映像だった。
帰宅前もちょいちょい情報を拾う。
まだ、深刻でないと感じていた。でも、大きな地震だと。
今日は早く帰ろう。
それでも就業後に寄り道。
京橋で一服しながら、幼馴染に電話をした。
「どない?大丈夫?」
揺れはするけど、被害はなし。電話はつながりにくい。受信は平気。
とのこと。
今すぐ買い物に行くこと。
お湯沸かすこと。お風呂にお水をためておくこと。
実家に電話ができなければ、私の職場か自宅に連絡を入れろ。
いくつか注意を伝えて、電話を切った。
もう一軒。
東京に住んでいるシングルマザーな母子も気になった。
電話をしたけれど、出ないから。
取りあえずメールを入れて帰宅。
21時ごろ。
何度も鳴る地震速報の緊急ニュース。
福島の原発が大変なことになってる?放射能漏れを起こしてる?
どこまでが本当?どれが本当?
TVの情報も大混乱だった。
帰宅難民が映し出される。
自分も帰れなくなったらどうしたらいい?そんなことを考えていると
シングルマザーから連絡。
よかった。無事だ。
息子を学校に迎えに行って、会えた時に大きく揺れた。と言っていた。
無事でよかった。会えてよかった。
今日はすぐにでも出られる支度をしたほうがいいよ。
と、こちらで拾える情報を流すことを伝えた。
友人と一緒にいるから大丈夫。って言ってたことにほっとした。
時間が進むごとに増える死者や行方不明者の数。
住民1万人が行方不明。
千葉でコンビナートが燃えてる。
刻々と被害の様子が明らかになる。
夜中まで、ニュースを見て。
起きたら、翌日の新聞は燃えて、壊滅した町の写真だった。
テレビ欄が真っ白になった。
生まれて初めてこんなテレビ欄を見た。
どのテレビ局も地震の報道。
電力が足りないなら、思い切って順番で放送を中止したらいいのに。
そんなことも思った。
おこった津波の映像より、今、現地がどうなのか、放送したらいいのに。
地震から24時間。
関東も携帯はそろそろ大丈夫だろう。と思って、
片っ端から、友人に連絡のメールを入れた。
無事。という返事が来るたびに、ほっとした。
何かこちらからできることがあれば、連絡してくれと返事をした。
3時間以上歩いて帰宅した。と言う大学の友人。
岩手の実家と連絡が取れた。無事だった。とメールを返してくれたゴス友さん。
今、ようやく電気が復旧したとレスをくれた栃木のゴス友。
みんな無事でよかったと返せて良かった。
「関電で電気を関東に送るから節電を。」
関電のオフィシャルにそんなこと乗ってなかったけど。
ツイッターでの呼びかけ。
ヤシマ作戦。
関西で節電しても何の意味もなかったんだけど。
思わず待機電力を切った。ヒーターを止めて、厚着。
土曜、日曜。毎日津波のニュース。
見守るしかできなかった週末。
週明けにはできること。
取りあえず、手持ちのTポイントやヤフーのポイントを募金に回す。
情報を集める。
関西でできること。
よくよく、考える。
コンビニとかで買い物をした後のおつり、募金してみた。
大阪で確実に帰宅困難者になる私。
帰る場所を家族と話し合った。
震災後あった、良いこと。
ツイッターでいくつか見かけた。
絆。譲り合い。
今回の震災で、もう一度考えた出来事。
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